1.13 勝ち負けを上下関係にしない

1. 将棋とは

勝敗と上下関係について

プロの世界ではタイトル保持によって序列が変わります。あるいは順位戦、竜王戦のクラスによって、あるいは段位によって序列があり、それが上下関係になっているのかもしれません。

しかし、アマチュアの趣味の範疇においては、勝ち負け = 上下関係 にはなりません。
いや、断言はできません。なるべきではない、と思っています。

勝敗に執着する

将棋は対人ゲームなので勝敗に執着するのが礼儀だと思っています。

マラソンが趣味で自分のタイム更新を目標としているのであれば、他人は全く関係ありません。あらゆるコースでいろいろな条件で自分自身を試すことが楽しいのであり、それ自体には他人は介在しません。私は学生時代は陸上短距離選手だったので、誰かより速く走るというよりは、自分自身のタイムに挑戦することに主眼を置いていました。故に対人ゲームは良く分からないのですが。

勝つと楽しく、負けると悔しい。
子どもはアンガーマネジメントが難しいだろうから、楽しい方から教える。とにかく勝たせる。その後、子ども同士で勝ち負けを競って、負ける悔しさも学んでいく。おおまかに、そういうプロセスなんだと思います。

絶対に負けられない戦い

私が勝敗に執着するのは、今は「社団戦」だけです。
将棋ウォーズや将棋クエストは将棋を忘れないための継続手段、道場での対局は経験値を稼ぐため。
ただし練習でも、「勝つためにどれぐらい考えられるか」ということを意識しています。最終目的は練習であっても「勝ち」です。そのためのベストな読みを入れられるか、集中し続けられるか、重要な局面に気が付けるか、など対局中のプロセスを大切にしています。
社団戦ではクソ粘りして「チームの中で最初に投了しない」と、劣勢でも時間を目一杯使い、相手のミスを辛抱強く待ちます。

練習では「これ以上指してみないと分からないから、指してみよう」という実験で、「回答を早く知りたい」という心境です。

社団戦では「正解かどうかは分からない、相手のミスを突き、間違いを誘発させ、不利なら逆転を誘発する勝負手、有利ならすぱっと行かずにじわじわ優勢を拡大して確実に勝つ」と、勝利優先主義です。

社団戦における指し方も練習で培ったものがあるからこそではあります。

解答を見つけ出す楽しさ

勝敗に執着すべきではありますが、”大人の趣味” であれば「解答を見つける楽しさ」も分かるべきだと思います。割と私の周りには序盤が好きな人が多いように感じるのですが、それも序盤における最善を見つける楽しさに将棋の楽しさを見出しているからだと思います。

「この作戦で、ここまで組めたから満足」といった具合に、棋書を買い実戦で試し、良くなったはずなのにそこから勝てない。

「先手これで良しから勝てない!」

と楽しそうに話すのです。

棋書を理解し、変化筋も覚えて指しこなすというのは、それだけで勝利に値することもあります。

ただ、「社団戦では中盤以降も粘っこく指してよ・・」と突っ込まれたりします。

勝敗は人間性の優劣ではない

将棋は対人ゲームなので勝敗がつきます。まれに引き分けもあります。

将棋で勝ったからと言って、その人が何事においても優秀な人間という訳ではありません。
これは会社の上司も同じだと思っていて、別に自分の上司だからと言って、それは職場だけの話であり、その人が人間的に自分より優れているとう訳ではないでしょう。もちろん相手が自分より何もかもが優れている場合もあります。そういう人は師と仰ぐと良いです。

少なくともアマチュアの世界において、強い人は尊敬されるかもしれないが、かといって他の者を見下す権利はありません。平等です。「お前は弱いから教室の掃除でもしておけ」とはなりません。

たまに雰囲気が悪い道場の話を耳にしたりします。
たぶん、勝敗が上下関係になって殺伐としているのかもしれません。
感想戦はネタばらしになるからしない、敗者をバカにする、みたいなちょっとした言動の積み重ねが場全体を殺伐とした空気に変えるのでしょう。
昔はそれで良かったのかもしれません。弱い奴は道場に来るな、勝てない奴は将棋をやめろ的な雰囲気でも経営は成り立っていたのかもしれません。

今は子どもから大人まで広く楽しめるゲームとして認知されており、
「勝っても負けても楽しめる」
という要素が求められていると思います。

将棋棋士への認知の変化

将棋は「人格者は強くならない」と言われたりします。人が好いと相手の隙につけこめないということでしょう。ただ、これは昔の話だと思います。

今は、事前の準備を怠らず、対局に向けて体調をコントロールでき、対局が始まれば集中し、終われば礼節を持って感想戦をするというタイプが、プロにおいては主流になってきているように思われます。

羽生九段(および羽生世代)の前と後で変わったと多くの書物に記されています。
対局中の私語はなくなり、序盤の研究が進み情報戦に変容するとともに、博打的要素が無くなり、研究家が勝つようになった。

つまりそれは、「勝負師(ギャンブラー)」から「ナレッジワーカー」に変革したということなのです。

しかし、まだ「勝負師」という単語から醸し出される古いイメージが将棋界には残っているようにも思います。
これからは、より鮮明に「知的生産を行う芸術家 (Knowledge Artist)」 と宣伝すべきだと思います。

プロスポーツ界では、肉体労働型から戦略ゲーム型へのイメージ転換を行い、多くのスポンサーを得ることに成功しています。将棋は、あともう少しで完全な変貌を遂げ、企業から引く手あまたの地位を得ることができるような気がします。
そうなるには、勝ち負けと上下関係を混同しないようにすることも大切な要素です。プレイヤーの人権(人格)を保護し、公平、公正、社会性を持った集団(プロアマ含め)と認識される基礎的要件です。もしまだ古い考えが残っているのであれば、しっかりと対処していくことが将棋界の未来とつながるでしょう。

まずは「負けても自分を卑下しない」とから始めよう。

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1. 将棋とは
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