0.7 将棋の学習 (論語より)

0. はじめに

仕事の関係でちょっとずつ中国語を習っており、今は教材として「論語」を使っています。
それって難しそうじゃない?と思われるかと思いますが、ええ、難しいです。
でも、中国では小中学生が必ず学校で習うことになっているため、分かり易く書かれた教科書もあります。

原文

論語の第一章

子曰:”学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎?”

どういう意味かというと、
「学ぶのは楽しいよ。友達できるし、意見の相違も楽しいじゃないか。」
みたいな感じです。ざっくり。
本職の人からは指摘されるかもしれませんが、私の先生(中国人)からも、私たちは研究者じゃないので大体の意味が分かれば良いよと言われてます。

以下、教科書から1ページ引用させてもらいます。

学と習

何気なく使っている「学習」という単語ですが、「学ぶ」と「習う」の違いを意識したことはあるでしょうか?

日本語的には、どちらも似たような意味で使われることが多いと思います。強いて言うと、「習う」は人から教わるときに使う、という感じでしょうか。

私は、「学」「習」のどちらも、「知識のインプット」という意味だと思っていました。

ですが、論語の解説では、「習=実戦」と書かれています。

つまりは、学んだことを使うのが「習」ですよと、中国では教えているようです。
日本だと、学んだことを「復習しましょう」と言い、家に帰って振り返り自習をするというイメージです。

学 = インプット
習 = アウトプット

この違い、なんか重要そうです。

将棋における学習

将棋を指すには、まずはインプットが必要です。駒の名前、動かし方、ゲームの始まりと終わり、慣習、定跡、手筋、囲い、最新系、プロ棋士について、などなど。
割と多くのインプットが必要です。

インプットを大きく省いたのが「どうぶつしょうぎ」でしょう。
そして、「駒落ち」も、上手の駒数・動きを制限しているという意味ではインプットを少し省いているかもしれません。

いずれにせよ、最低限のルールと勝ち方をインプットしなければ将棋は指せません。

駒落ちは、戦い方が整備されているためインプットの量は少なくて済みます。
将棋は、指してなんぼですので、インプットだけで終わるのではなく、将棋を指す(アウトプット)ことで、ようやく「学習」が完結します。

平手で「どうやって指し進めたらよいか分からない」という方は、
まずは「駒落ちの定跡を覚えて指導対局を受ける」というのが第一歩でしょう。

定跡を覚えなくても(インプット無し)でも、指すことはできます。
しかし、インプット無しで良いアウトプットが出るとは思えません。
そして、もし指導対局の相手がプロ棋士なら「事前に指し方を学んでおく」(定跡に限らない)のが効率の良い学習だし、礼節だと思います。

とはいえ、将棋は難解な中盤、どうしても見えない寄せ、という課題がありますので、全てを事前に学んでおくことはできません。

学んで習う

将棋をどう指して良いのか分からない人は、

① インプットがほぼ必要ない「どうぶつしょうぎ」をプレイして、ゲームの終わり方を習得する

② 情報の量が少ない「駒落ち」の定跡本を読み、指導対局を受け、将棋の形に慣れる

③ 戦法を絞り「棋書」を読み、対局する

という順番で習得していくのが良いのではないでしょうか?
勝てなくなったら、②、③を繰り返したり、詰将棋を解いたりするのが良いです。

持論ですが、ずっと駒落ちばかりで立ち止まっていると新しい知識の習得も進みませんし、平手での将棋に辿り着きませんので、「知識」で得られるものが少なくなってきたら「棋書」を読むべきだと思っています。棋書の代わりにプロの棋譜(日本将棋連盟モバイル中継)を見るでも良いと思います。

将棋は「学習」に適しています。

どんどん覚えて、どんどん指す。これに限ります。

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将棋上達の心構え

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